俺たちが憧れた、正義の味方を造る仕事。東映株式会社・白倉伸一郎

撮影:増元幸司 インタビュー・文:景山美香


還暦インタビュー・白倉伸一郎
還暦インタビュー・白倉伸一郎

6歳のときに放映された『仮面ライダー』にハマった後、
いったん卒業。大学時代に、東映熱に火が付いた!

1965年生まれなので、5歳の時に始まった『仮面ライダー』にはハマリましたね。でも、1号、2号、V3くらいまでは夢中になって見ていたのですが、並行して放映されていた東映動画(現:東映アニメーション)のアニメ、『マジンガーZ』『グレートマジンガー』『UFOロボ グレンダイザー』に鞍替えしていって。特撮は卒業してしまうんですよね。小学校時代はひたすら、当時は“まんが”って呼ばれていたアニメ作品を見ていたような気がします。けれども、それも1974年の『宇宙戦艦ヤマト』くらいまでで、やっぱりその後は卒業してしまうんですよ。だから1979年の『機動戦士ガンダム』とか、それ以降のアニメブームには、ぜんぜん乗れてないんです。

大学時代の学園祭で、当時話題だった『超時空要塞マクロス』の上映があるっていうので見に行ったら、たまたま『バトルフィーバーJ』っていう、スーパー戦隊シリーズの第3作目が間違って上映されて。そのものすごいノリに目を奪われて圧倒され、もうマクロスがぜんぜん頭に入ってこなくなっちゃった(笑)。あの番組はなんだったんだ?ってなって、いろいろ調べていたタイミングで、ちょうど『電子戦隊デンジマン』の再放送が始まって、それも、ものすごい独特のノリだったんです。そこから、東映熱に火が付きました。

還暦インタビュー・白倉伸一郎

30年以上仕事をしてきて、改めて実感。
プロデューサーという仕事の本質は、“美味しいお茶を出すこと”。

東映っていう会社は、どうも不思議で面白いぞ、と思い始めて。時代劇や刑事ものなどを片っ端から見て、スタッフとか監督、脚本家をチェックするようになったんです。
そのうちに、“どうやら、プロデューサーっていうやつが作品のカギなんじゃないか?”って、当時大学生だった白倉青年は、思い始めるわけです。プロデューサーっていうのはいまひとつ、何をしてる人かわからない。けれども、実はこの人たちの頑張りが、作品の良し悪しに関わってるんじゃないだろうか?って考えて。自分もプロデューサーになることで、会社の楯となり、テレビ局やスポンサーの圧力からクリエイターを守るために戦うんだ、っていう青雲の志を持って、意気込んで東映に入社したわけです。
でも入ってみて判ったのは、映像作品や番組って、みんなで力を合わせて造っていく、いわば集合芸術だということ。テレビ局やスポンサーを含めて全員が同じ方向を向いているのであって、誰が悪で誰が善だとか、そういうものでは全くない、ということでした。

20年、30年とプロデューサーをしてきて思うのは、この仕事の根幹は、“お茶汲み”とか“買い出し”だということ。こういう企画をこういう方向でやろう、っていうことになったら、まず人を集める必要がある。そして、その人たちを上手く回さなくてはならない。自分一人では出来ないことを、人にやってもらうわけですよね。脚本家には脚本を書いてもらう。監督には演出してもらう。キャストには受けてもらう。それぞれの役割を果たしていただくためのお膳立てをするんです。それはリーダーシップを発揮するようなカッコいいものではなくて、極端に言えば、土下座して来ていただくようなもの。“お茶を出す”っていう具体的な行為があるかどうかは別として、美味しいお茶とお菓子をお出しして、お願いする、という感覚が、この仕事の本質なんだろうな、と思っています。

還暦インタビュー・白倉伸一郎

還暦を迎える人間は、後進にバトンを渡すのが最大のミッション。
そのバトンに、とびきり愉快な罠を仕込んでおく。

大きく羽ばたいていく俳優さんのデビューに立ち会うことも多いので、よく「原石を見つけるために、どのようにして審美眼を養うのですか」といったような質問をされるのですが…。そういう光り輝く人は、私が見出さなかったとしても、絶対に別のところに出てくるはずなんです。そういう人に、たまたまいち早くお目にかかれたり、お会いする幸運に恵まれたっていうことでしかない。キャスト運は、めちゃくちゃ強いんですよ。プロデューサーとして一番大切なことは、運なのかもしれないです。

現在は、キャラクター戦略部っていう新設部署にいます。これは、キャラクタービジネスっていうものに対して、中長期的な目線に基づく戦略を築き上げる…というセクション。
東映株式会社っていうところは、ある意味、勢い任せでやってきた部分があって、それが『仮面ライダー』だったり、『スーパー戦隊』シリーズに繋がっているところがある。でも、その価値を高めてグローバル化していくには、やはり勢い任せではだめなんですよね。
それに、還暦を迎えんとする人間っていうのは、いかに後進に対して、バトンという名の荷物を手渡すかっていうのが、最大のミッションになるだろうと思うんです。「はい、あとはよろしく!」と言いつつ、いかにそのバトンに、面白いネタや、愉快な罠を仕込んでおくか。年齢的にも、組織としても、そういうことをしなければいけないタイミングなのだと思います。

還暦インタビュー・白倉伸一郎
還暦インタビュー・白倉伸一郎

人が本当に惹きつけられるものとは、いったい何なのか?
V3が、その答えを教えてくれた。

『仮面ライダー』がこれだけ長く続いたのは、モチーフが“バッタ”だったからだと思うんです。普通は人気のあるモチーフって、恐竜だとかライオンだとか、そういうものを選ぶんじゃないかと思うんですが、なぜか“バッタ”なんですよね。この発想は、絶対に凡人からは出てこない。石ノ森章太郎という天才が、非凡な感覚で描いたもので、バッタだからこそ50年以上経った今も続いているのだと思うんです。それはアメリカでいまだに現役の、コウモリ男とかクモ男も同じかもしれなくて。バッタもコウモリもクモも、ことさらに愛されてるとか、みんなから大人気のモチーフというわけではない。ヒーローという、非常に光の当たる道を歩んでいるはずの存在が、どこか影の部分を持っている、そのアンビバレントなところが、強い魅力なんじゃないかと思います。

今でも忘れられないのは、3人目の仮面ライダー、『V3』が最初に発表されたとき。小学生向けの新聞なんかに、次のライダーはこれだ! って写真やイラストが載るわけです。その時は、“なんだこれ?これはアカン!”って思った。頭の真ん中に階段があるし、なんか歪んでるし、緑と赤の配色も気持ち悪くて、なんてカッコ悪いんだろうって。でも蓋を開けてみたら、もう最高にカッコいい!!ってなったんです。

ヒーローって実は、実際に見る前、体験する前に、“カッコいい”とか“きれいだ”とか、これ良いな、と思ったものは、あまり心に残らない。きっとそういうものは、平凡なんだと思います。造形物に限らず、人でもキャストでもそうなのかもしれない。オーディションでも、当然カッコいい人とか、美しい人とかがたくさんいる。でも、テレビに映ったら、普通になっちゃうこともあるわけです。
テレビをつけたときに、1秒で「あ、この人、気になるなー」と思わせる。それが、キャストやヒーローであるための資格なのかもしれません。やっぱり、マスクを被っているにせよ、アニメーションだったにせよ、人が造ったものを人が見る。人が人を見ているわけですし、人は一体何に惹きつけられるのかっていう、本質みたいなものを突きつけられる。
V3や、仮面ライダーには、そういうことを教えられた気がします。

還暦インタビュー・白倉伸一郎

「2位じゃだめなんですか」
スーパー戦隊は、もともと仮面ライダーの代替物としてスタートしました。いわば2位スタートです。それがライダーの休止期間という敵失と、パワーレンジャー特需に恵まれ、グローバルにおける東映作品としてダントツの1位にのぼりつめた時期が長らくつづきました。
でも、その後ライダーが大きく躍進し、いまや万年2位に。年々差が開き、同じ土俵ではもう逆転の目はなさそうです。
そこで。
スタートライン自体を変えたいのです。
これまでになかったまったく新しいヒーロー番組をつくり出す。 後進にバトンを渡すというお話をしましたが、このバトンは多段ロケットエンジン搭載。1位2位争いを越えて、成層圏まで打ち上がってもらいたいと思っています。

還暦インタビュー・白倉伸一郎
Profile
白倉伸一郎

1965年、東京都生まれ。1990年、東映に入社。『鳥人戦隊ジェットマン』『真・仮面ライダー/序章』以降、数々の東映特撮作品に関わる。近年のプロデュース担当作としては『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』『仮面ライダーBLACK SUN』『シン・仮面ライダー』『仮面ライダー555 20th パラダイス・リゲインド』『ボルテスV レガシー』など。2025年より、上席執行役員キャラクター戦略部担当兼映像企画部ヘッドプロデューサー。